劇団四畳半(笑) ~ 紅 kure-nai 第6話

いつも何だかホッとする空気が流れる、紅 kure-nai 第6話「貴方の頭上に光が輝くでしょう」です。

えっと、わたくしスナドリは、実は即興演劇(インプロ)を志すものでして、毎週毎週その稽古に励み、また時にはささやかながらショーなどにも出てたりするのですが、まさかアニメでそのようなシーンがでてくるとは思いませんでした。まあ実際のところは、もちろん台本があって声優が芝居していますから純粋な即興ではないのですが、シーンの中で、「即興表現的」といえばいいですかね、そんなようなものが展開されてとっても興味深く、また新鮮に見ていました。

五月雨荘の面々って、そろいもそろってマイペースな人々なので、演劇みたいな事はめんどうくさがるかと思いきや、どういうわけかやる気満々なのが以外でした。台本を勝手に変更した上に、続きもドンドン勝手に即興で作っていって、いったい何時間あの部屋で演じていたことなのやら(笑)。みんなよっぽど楽しかったのでしょうね。後半はほとんど歌と芝居で埋め尽くされていましたし。

なんだか、こうしてみると、紅ってこういう作品なんだなあと改めて実感しました。
ミュージカルのような表現がとても似合う、まるで群像劇に近いような雰囲気。昔、実写版の「めぞん一刻」でミュージカルシーンがありませんでしたっけ?なんかそれと似たような印象を感じています。

登場人物それぞれの性格や立場や思い、生活がキチンと存在していて、それが人物間で反応し合いながら、時折、その純粋な姿を垣間見せる。その形がとってもシンプルなので、ダイレクトにこちらの気持ちにも反応してきます。

普段の日常生活のシーンでは、当然ながらそのように純粋な姿は垣間見せることしかできませんし、年齢や性格や立場によって、関係が決まるために、みんな本当のことはまず言いません。ところが、このミュージカルは、役を演じることで、その垣根が虚構となり、その上に即興でシーンを作ったものですから、余計に役に自分の気持ちをダイレクトに乗せることができ、また受け取る方も普段の関係を超えて、キチンと受け取ることができているように思いました。だから、真九郎目線で、普段は立場的に比べる対象にもなっていない紫ちゃんと夕乃が、ミュージカルシーンでは、面白いことに、真九郎を挟んでキチンと並列に存在しています。子供と高校生ではその恋心は同じ土俵には乗りませんが、ジェニファーとマーガレットとしては、しっかりぶつかり合っており、その様がこちらにグッと迫ってきます。

音楽と歌がとってもいいこともありますが、そんな二人の何の飾りもない等身大の気持ちが劇中劇を演じる中に素直に表れていて、見ていてとっても切ないようなあったかいような、何とも言えない気持ちにさせられました。そしてそんな気持ちをアニメーション作品から感じるというのは、とても希なことであって、そのことからも、この「紅 kure-nai」という作品は、ああ、「こういう作品」なのだなあ、と改めて感じた次第であります。

ストーリー的には何にも進んでないのですが、とっても見所があり、心ゆくまでこの世界が持つ暖かさを感じた回だったと思います。

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マクロスクォーター! ~ マクロスF 第6話

いきなりオリコン3位にランクインした、ダイヤモンド・クレバス/射手座☆午後九時 Don't be lateのCDはすでに購入済みですヨ!(笑)。マクロスFRONTIER第6話「バイバイ・シェリル」です。

いやあ~。今回のラストは身体にビリビリときましたよ。シビレた~。
「ダイヤモンド・クレバス」の曲にオーバーラップしたマクロスクォーターの出撃シーン。それも歌詞が「It's long long good-bye...」なのです。シェリルが歌い、ランカが宇宙(そら(笑))を見上げたその時、男たちは瞬く間に旅に出てしまい、あとにはフォールドの光が残るだけなのです。

それにしてもですよ!まさか、マクロス“クォーター”とは!100の4分の1は「25」(周年)で、それで「クォーター」なのでしょうか・・・!いやはや、そんな細かいところにもいちいち感じ入ってしまいます。

めでたく事務所のスカウトを受けたランカですが、その顔はイマイチ明るくなく、そして、全銀河のトップアイドルであるシェリルも、めずらしく弱気な面をさらけ出します。きっとそれは、あの赤い生物が「バジュラ」として呼称され、マクロスフロンティアに生きる人々の共通の敵として、はっきりと認識されたからなのでしょう。最初にアルトも含めて3人がバジュラを前にしてシェルターに閉じこめられた時は、バジュラそのもののよりも、自らの枠組みが崩壊することを恐れていましたが、今回のシーンでは、二人とも漫然とした何とも言えない不安を表情に出しています。それは、自分の人生や生活が、より大きな存在によって否応なしに変えられていく事への正直な恐れでありましょう。

また、アルトと急接近したシェリルですが、きっとこれまで孤独だったのでしょうね。もちろん周囲にはスタッフなど人はたくさんいると思いますが、「シェリル・ノーム」とはやはり完全に自己と一致した存在ではないのでしょう。最初に登場した頃に見せた高慢ちきぶりは、行く先々であらゆる人に自分をシェリルとして無理にでも扱わせるための言動で、要するに、常に商売モードがオンになりっぱなしなわけです。
そういう風に見ると、シェリルをシェリルとして扱わないアルトという存在は、彼女にとって全てをオフにすることができる唯一の場所で、だからこそ彼のことをよっぽど気に入ったのだと思います。誰の目にも明らかだと思いますが、イヤリングをアルトに預けたのは、彼との繋がりがそこで絶たれてしまうのを恐れたからです。それを返されてしまった場合、その後はトップアイドルが一般人にわざわざ会うことの大義名分がなくなってしまいますからね。

なんだか、今回は、そんなシェリルがとっても可愛らしいと思いました。

一方のランカのほうはどんどん闘うためのハードルが高くなってきています。
彼女の歌とバジュラとの関係の謎もそうですが、ナナセが口走った「打倒シェリル」は、そう目の前で言われてしまったことによってより現実味を帯びてきていますし、その上、アルトとシェリルの接近ぶりも、アルトがそのことを口にしなかったことによって重大な問題になり、またさらには、それまで彼女を守ってくれていたオズマも、アルトを連れてフォールドの光の先へ行ってしまいました。せっかくスカウトを勝ち取ったのに、そんな風にアルトとの関係を断ち切られては、うれしさも半減でしょう。そしてそれは、彼女にとって歌を歌うことが、まだ自立した形になっていないことのあらわれです。

ここから先、ランカは、本当に一人で闘わなければなりません。
それは、シェリルも、そしてアルトもまた同様です。
そのきっかけを作り出したのは、全て「バジュラ」という名の敵です。

歌うシェリル、見上げるランカ、旅立つアルト、そして迫り来るバジュラ。
その完成した構図が、見事に今回のラストシーンで描かれており、心が動かさずにはいられない幕切れでした。

次回は、「ファースト・アタック」。
これから、若者たちの戦いが始まります。

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親と甘えと ~ 図書館戦争 第5話

とうとう原作読みました。が、小説は小説、アニメはアニメです。図書館戦争 状況〇五「両親攪乱作戦」です。

まあ、何というか、この娘にしてこの親か、という回でしたね。特に身長まで似ている母親。子離れしていないどころか、未だに郁と自分を同一視する態度をあからさまに表に出しており、間違いなく、郁の甘えた性格の原因になっていると思われます。親の側が子供を同一視することを止め、子供が自分とは異なる存在であることを認めなければ、子の側も親を同一視することを止めることができません。郁がのべつまくなしに周りに感情をばらまくのは、あきらかに甘えであり、それはその親との存在の別離の大部分を未だ精神に残しているためです。

それにしても、今回の郁は、いつも以上に感情をばらまきまくってましたね。驚く、わめく、すねる、騒ぐ、怒る、そして泣く。いちいちそんなに過剰に反応して、よくストレスにならないなと思います。むしろそうすることそのものがエネルギーになっているような雰囲気でした。周りのみんなもよく面白がって受け入れられるなあと。職場の人間関係としては大変な存在だと思います。

振り返ってみると、今回の親関係の一件で、シフト変更から、友人、同僚、上司に至るまでことごとく協力させ、迷惑をかけ、そして、問題の本質は最後まで未解決。父親は黙認していますが、戦闘任務の様子を見てもそれを維持できるかは甚だ疑問です。このまま親の了解を得ないまま、もしも郁が戦闘で重傷を負ったり、殉職したりしたら、一体どういう事になるのでしょうかね?特に母親は、すさまじい憎悪を図書隊に向けることでしょう。でも、そんなことにも想像をめぐらさないまま、本人はただただ泣いて見送るだけです。

一つ気になったのは、母親が読みたい本の貸し出しを妨害するシーンでした。
郁は事もあろうに図書を隠そうとしますが、堂上が図書館の自由に関する宣言を確認させて、いったんは戻すものの、しかし、その後も別の図書を差し出して母親の気を次々とそらします。図書自体は利用可能であったとしても、その行動と目的は、図書館の自由を侵していることには変わりないことではないですかね?どうもその一連の行動は最後まで腑に落ちませんでした。郁にとって親の問題は確かに重大なのでしょうが、母親だって利用者です。自分の都合のために図書館の自由を侵していいというのは、図書隊に入隊したいという動機が転倒してしまっているように思えました。まあ元から、例の王子様は郁の自己都合で美化されまくっているのでしょうが、図書隊の任務についても、その自己都合の前ではどうでもよいというのは、いくら若気の至りといっても、ちょっと私には納得がいきませんでした。

ストーリーとしては、そんな郁を育んでくれる家族的な図書隊とその仲間たち、そして親との和解の第一歩を得ることが出来た郁と、ようやく郁の本質に目を向け始めた親という構図で、さわやかな若者たちのドラマといった体です。しかし、私はどうも、図書隊の担う任務と、その成り立ちを背景とした世界を前にして、どうしてもこのストーリーに青春めいた雰囲気を感じることができません。

ここまで見て一つ思い出したのが、機動警察パトレイバーの特車2課です。
彼らは、専門学校上がりの半端物の寄せ集めで、レイバー狂いの女子に、拳銃狂いの問題警官、親への反抗も込みで入隊した者なんかがいて、それぞれに自己都合を出しまくります(笑)。ところが彼らは、どんなに重要な自己都合であろうとも、警察用レイバーが必要とされていることの目的を決してねじ曲げたりはしませんでした。それどころか、自己都合を出しまくりつつも、徐々にその自分の目的と組織の目的を一致させる方向を模索し、何度も転びながらそれを受け入れ、チームとして成長していきます。後藤隊長の大人なキャラクターによるところがもちろん大きいとはいえ、まさに青春ドラマだと思います。

しかしこの作品は、どうにもこうにも郁一人のために全ての理屈が動いているような気がどうしてもしてしまいます。ここまでサポートされていながら、どこが「みんな同じ条件」なのかと言いたい。彼女がギャースと叫ぶ度に、うんざりするような気持ちにさせられるばかりです。

まあ一応ここまでで彼女が持つほとんど全ての背景が出尽くしたようなので、次からはもう少し何か進展するのかもしれませんが、正直、しばらくの間は郁自身にはあんまり期待していません。それよりも、とにかくどんどん事件が起きていってほしい感じです。

結局のところ、私が郁の事を嫌いだなだけなのではと言われれば、確かにそれまでなのですが(笑)。

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関節だけはイヤンw ~ RD潜脳調査室 第5話

RD潜脳調査室、第5話「スーマラン item」ですが・・・関節はいやああぁぁ!(笑)。しかも股関節までー!
あの音がすんごくイヤでした(笑)。

前回は、電脳と言えばエロスでしたが、今回は、電脳といえばバーチャル、バーチャルといえばやはり格闘です。

映画のマトリックスを観た時、きっと誰もが、ネオが電脳空間で初めて格闘するシーンに、何とも言えない憧れを感じたのではないでしょうか?肉体とは、私たちにとって常に精神の牢獄のようなものであります。精神が望んでいるイメージの肉体と、現実のそれは常にズレが存在し、それは、どんなに減量したり、身体を鍛えたりしても、疲労や、故障、生活習慣の変化、また加齢などで、100%完全に理想と一致することはあり得ません。そのことから、マトリックスに登場するするような、バーチャルとはいえ、あれほど自由に操れる肉体というのは、きっと誰にとっても見果てぬ夢なのだと思います。

義体化という技術が発達した場合に、真っ先に身体能力の拡張が登場するのは、そのように、精神のイメージと現実の肉体に必ずズレがあることが背景なのかもしれません。攻殻機動隊では、それが豊かな形で表現されていましたが、このRD潜脳調査室では、今のところ、なぜか比較的地味な形態で表現されています。

たとえば、初回でソウタと格闘したホロンは、身のこなしやスピード、パワーは確かにありますが、今回のアイアン・シュバルツの戦闘では意外な脆さが見受けられ、攻殻機動隊でよく見られるような圧倒的で常軌を逸したような身体能力までは実装されていないようです。またソウタの方も、義体化による戦闘能力の向上ではなく、あくまで生身での格闘技術の研究にこだわっている様子で、アンドロイドあるホロンとの格闘に関する議論では、生身でない者の言葉に多少なりともイライラしているようでした。

ここまでのお話での全体的な人工島の雰囲気を見る限りでは、RDにおける高度に抽象化された電脳社会では、どうやらあくまで基本はメタリアルネットワークであって、現実世界については、外科手術を必要としない電脳化と同様に、あまり素の状態から逸脱することを求めない価値観であるようです。

今回登場する、「実践型格闘コミュニティ」なんかは、その価値観の表現系でありましょう。それは、メタルアバターを使っての異種格闘技戦コミュで、義体化していないソウタはそこで腕を磨いているとのことですが、特殊なソフトウェアによる戦闘能力の拡張なども使用せず、メタル内とはいえ自らが持つ力だけで闘い、あくまで生身にこだわるというのは、その格闘が基本的には精神的な活動であることを意味しているように思えます。むしろ、義体化という文明が発達したことによって、格闘はより文化的な存在として特化していき、そこにメタルが生まれたことによって、よりその傾向が強まってコミュニティに発展したのかもしれませんね。ソウタが話していたクロガネシンカイなる人物が作った「都市型格闘術」というのも、その文化の一つなのでありましょう。

そういえば、今回、直感少女ミナモちゃんも、妙にいい動きでしたね(笑)。アイアン・シュバルツ相手にスーマランを取り合うシーンなんかは、目を見張るものがありました。これまた何かの小さな伏線なのかもです。

ところで、前回、「ミナモちゃんが波留のために一生懸命動く動機が見えない」というようなことを書きましたが、この人物像、どっかで一度見たことがあるなあと思っていたら、「老人Z」に登場する、看護師の三橋晴子さんを思い出しました。彼女が、高沢老人に対して無条件に献身的に尽くす姿が、ミナモちゃんの雰囲気にとてもよく似ています。もっとも、高沢老人の場合は、晴子さんに対してどのような気持ちだったのかは定かではなく、逆に波留の方は、ミナモちゃんに無条件の信頼を寄せているところが大きく異なるのですが。

それにしてもなぜこの二人がこうも引き寄せられているのかは、全く不明ですよね。
ラストのソウタの表情は、私も全く同感でありますです。(笑)。

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仕置くぞ貴様! ~ 仮面のメイドガイ 第5話

前回登場したリズちゃんは、声が初音ミクの人だったのですね。仮面のメイドガイ・ご奉仕五「メイド忍法 女子高生の術」であります。

なんだか、富士原なえかという主人公は、財産相続がらみの敵に狙われているというよりも、単に牛乳娘として狙われているのではないかと勘違いしたくなりますが、ようやく今回から敵という名のメイド忍者wwwが本格的に動き出します。

しっかし、この作品に登場するメイドたちはみんな基本的にマジメでド天然な気がするんですが、新しく登場したツララも、バレバレの女子高生姿で学校に乗り込み、本人の絶大な自信とは裏腹に、見事に撃沈します。

あと、このツララ、のっけからやたらと態度がデカくて、ご主人であるリズに対しても割と高圧的に指示をするのですが、その雰囲気が、最近篤姫で活躍している老女・幾島的な立ち位置と重なって見えました。「忍者」たるメイドゆえの雰囲気なのでしょうかね。あー、あとリズの本家の雰囲気が伝わってくるのかもです。それにしても、リズは洋風な立ち振る舞いなのに、メイドたちは忍者で、妙なちぐはぐさが面白いです。自宅はまるで秘密基地ですしねwww。

さて、今回のメイドガイ、「メイドガイは、民間人には手を出さん」と言ってまして、「メイド」という職種は民間人でないwことが分かりました。それを裏付けるように、七色のメイドガイ・ボイスを発動するハッキング技は、まるでバトルプログラマーシラセ(最近ハマってるんスよw)を彷彿とさせるものでしたが、最後は・・・正直、バケモノでしたね。これまでの超絶能力はまだ現実味?がありましたけど、今回のは、よりにもよって触手ですよ触手!これはもう、本当に人間ではない存在なのかと・・・。

なえかのこれからのストーリーそのものよりも、メイドガイ・コガラシ自身の秘密の方が見たくて仕方ないんですが・・・。

あ。多くの人が言ってますが、自分もメイドガイバッジは欲しいです♪

貴様もこのメイドガイの技を・・・受けてみろぉ!

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ローパー音頭♪ ~ ドルアーガの塔 第5話

ようやくパーティのとしてのチームワークが出来上がりつつある、ドルアーガの塔「ジウスドラの罠」です。

今回は、ちょいと中入りなお話でした。

ジウスドラという魔術師の実験場跡がなぜか塔内にあり、その人物が作った魔法装置が散乱していて、踏んづける度に何かに変身させられるという罠が登場します。のっけからドアラそっくりな着ぐるみが出てきて吹いたのですが(笑)、このネタ、どっかで似たようなモノを見たような記憶があるなー、と思ってたら、内容は若干異なりますが、「敵は海賊」シリーズ(知ってます?)の「敵は海賊・猫たちの饗宴」に登場する、人間もコンピューターもみんな猫に変身させてしまうという「CATシステム」でした。まあこっちの方は、見た目そのものだけではなく、中身もおかしくなってしまうので、もっと恐ろしいモノでありますが。

しかし、魔術師の実験場があるということは、塔内を住処にしているという恐ろしい輩が他にもいそうですね。

それにしても、メルトの戯れに対するルーパのマジ切れっぷりが面白すぎました。メルトへの好意もそうですが、男子そのものに対する勝手なイメージがあるみたいですね(笑)。なんか、このパーティって、不思議にこのルーパがいることでチームのとしての形ができている気がします。理由は全然分からないのですが、最初に登場してからずっと、ルーパがみんなを動かす空気を作り出しているように感じてました。

最後のローパー音頭で、子供時代のジルとニーバ、そして父親が登場し、ローパー音頭は、正式にはジルだけに伝えられたらしいことが明らかになります。ジルとニーバは兄弟なのに、最初から明らかに立ち位置が違いすぎてますが、その辺のことにこれから繋がってきそうな感じですね。

個人的には、長い旅になるそうなお話ですし、どんどんストーリーのアクセルを踏んでいって欲しいです。

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大岩オスカール:夢見る世界

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始まったばかりなのですが、Webサイトの絵に惚れて行ってきました。

我々が根城にしている都市イメージに幻想がオーバーラップというか・・・とけ込むというか・・・染み広がるイメージが、頭の裏の方にじんわりと伝わってくる作品群でした。別に、都市と幻想の両者が相容れないとか、都市の無機質なイメージとか、そういうことじゃなくて、本質的に「こういうもの」としてあるのだということをババーンと見せられているような感じです。

擬態のようなものとしてあるのではなくて、元からそうなんだと。

アニメの見過ぎかもしれませんが、電脳コイルに出てくる拡張現実感とか、イリーガルを彷彿とさせる絵柄なのがとても印象的でした。

個人的には、全長23メートルの2つのクジラ、あと巨大な絵画はみんな好きでしたが、特に挙げるならば、「野良犬」、「フラワーガーデン」、「ガーデニング(マンハッタン)」、「カラスの巣」、「ネッシー」ですかね。あ、あと「シャドウキャットとライトラビットの出会い」もスキ。電脳コイルを知っている方は、このシャドウキャットとライトラビットと、「ネッシー」、そして「野良犬」なんかは、きっと、イリーガルそのもののように感じると思います。イリーガル自体の存在も、この絵で描かれるそれらも、偶然ながら、ほぼ同じ位置づけであることがとても興味深かったです。

あと、この展覧会観に行って、自分は巨大な絵画好きであることがよく分かりました(笑)。
(でも、岡本太郎の「明日の神話」はなぜかイマイチ好きになれないのですが・・・)

普段、アニメやマンガだけだと、「大きさ」を感じることがほとんどないので、それらの絵によく触れる方にこそオススメです。

ただ、展示している作品点数が少ないと思いました。
もともと量産される方のようですし、今回の倍くらいの作品を見たかったです。展示されてない絵がカタログにあったので、6月下旬にもう一回行ってみようかな。

帰りの電車で、都会の街並みを眺めていたのですが、今回見た絵のイメージがその街並みに蘇ってくるような、不思議な感覚におそわれました。

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生きる道と運命と ~ マクロスF 第5話

あんなにスターがほいほい外に出歩いてていいのかと(笑)。マクロスFRONTIER「スター・デイト」です。

まあ大事なイヤリングを探すこととはいえ、自意識過剰なシェリルとしては、アルトのようなキレイどころを連れて歩くのは、とても楽しいことなのでしょう。あれほどまでにステータスを意識する人が、いくら都合があるとはいえ、いわゆる「一般人」と共に街中を歩くのは、よっぽどのことだと思われます。

冒頭のナレーションが示すように、この二人と、オズマに対する宣戦布告から家出?をしたランカが外を歩いてくれることで、フロンティアの世界が一気に俯瞰され、今回はその豊かさと美しさに心を動かされました。なんだか、地球の中でも最も美しい街と自然を抽出して作ったような世界に思えました。まるで、そういう世界を作らなければ、暗い宇宙の中、果てしない距離を旅することができないと言わんばかりです。

また、フロンティアの世界における食料自給については、以前からかなり興味を持っていたのですが、ま・さ・か、ゼントランとして牧畜を行っているとは夢にも思いませんでした。なんですか!あのトリケラトプスみたいな大きさの牛(?)は!しかも超カワイイじゃないですか!(笑)。いったいマイクローンサイズでどれだけの量の肉と牛乳が取れるんですかね・・・!?というか、ゼントランサイズの生き物は、マイクローンの食事としての互換性があるのでしょうか?もしも、細胞のサイズそのものが大きければ、そのままだとマイクローンは食べることが出来ないような気がするのですが・・・。考えれば考えるほど、その共存世界についての想像が広がります。

さて、前回はアルトが自分が生きる世界のとっかかりを掴みますが、今回は、ランカがそれに再度挑みます。

まあ、たきつけたのはミハエルで、彼が言うところの、オズマへの甘えだとか、彼がどんな気持ちで戦っているか知ろうともしないとか言うのは分かるのですが、実際のところ、それはランカから見た場合でもお互い様なわけです。ランカが自分自身の生きる世界を掴もうとするのは、ランカの都合であり、それを認めようとしないのはオズマの都合。だからこそ、戦う必要があるわけで、ランカは街頭で歌を歌って、人々の足を止めて見せなければなりません。余談ですが、アルトの時もランカの時も、まず乗り越える壁を作ってくれるのはミハエルであるというのは、面白い役回りだと思いました。

それで、結果としては、ランカはショッピングモールで見事な歌を披露したわけです。
もちろん、彼女自身が言うようにアルトとの対話がきっかけになっていると思いますが、それよりも、解離性健忘という重大な精神疾患の中で、唯一残っている歌の思い出が、よっぽど彼女の根幹を支えている要素であった、ということの方が大きいように思われます。
ランカの中で「歌わずにはいられない」ことの理由があるとしたら、もともと、シェリルに自らの歌に対する想いを託すことで代理で歌ってもらっていたことが、シェリル本人から歌ってみたらどうだと言われることで逆に受け渡され、それまで託していた想いが口をついて出てきた、ということなのだと思います。でなければ、いきなりであんな風に無心で歌うことは到底出来ないでしょう。シェリルがいよいよ驚異を感じ始めていることもうなずけます。


そしてこれは・・・書くかどうか迷ったのですが、おそらく誰の目にも明らかなので、思い切って書いてしまいますが、今回のストーリーで、ランカはこの先、非常に思い運命を背負うらしいことが示唆されています。

それは、案の定、ランカの歌に反応したバジュラと、そしてバジュラの大群に襲撃を受けたギャラクシー船団です。

マクロスと歌は切っても切れない関係でありますが、以前は、それが主には戦闘支援として、また最終的に戦闘中に歌われることが発展して、敵と味方をつなぐ架け橋として存在していました。しかし、ここまでのお話を見る限り、ランカの歌はバジュラを引きつけるものとして存在しているらしいことが描かれています。

もしもランカの歌にそのような効果があるとしたら、ランカが歌うたびに船団が襲撃を受ける可能性があるわけで、それはせっかく自分の世界を掴むとっかかりを得た彼女にとっては、非常に重い運命であると言わざるを得ません。また、その運命は、アルト、シェリル、ランカの三角関係にも複雑な影響を与えることになるでしょう。

「そうせずにはいられない」ということは、時に大きなリスクを伴います。

リスクを乗り越えるには、ランカが街頭で歌う試練を受け入れたように戦いが必要で、そしてその戦いは、「そうせずにはいられない」ことを維持し続ける以上、常に必要とされうるものであります。アルトはアルトで、ご存じの通り家柄などの様々なリスクがあり、そしてシェリルはシェリルで、その過剰な自意識も含めて、トップスターの座を維持し続けるために、街頭でいきなり作詞する必要があるように、常にリスクに打ち勝っていかなければなりません。

そして私が思うのは、それはバジュラ、またバジュラの背後にいるであろう敵も同じかもしれないということです。

今回の一連のシーンは、彼らが彼らとしてあり続けるための戦いが待ち受けていることが、そこかしこに示唆されていたように感じました。

そういえば、このマクロスFRONTIERの大航海自体が、人が人としてあり続けるための戦いでしたね。

美しいフロンティアの世界と、魅力的な歌声の中に、そんなこれからの運命を垣間見たような気がする、第5話でした。

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