グローリー!グローリー!

写真は、NHKスペシャル「タカラヅカ 憧れと伝説の90年」での、宝塚音楽学校から第90期初舞台生として初舞台の練習をする稽古風景です。
宝塚の稽古なんてもちろん初めて見ますが、いやーみんなホントーにカワイイです。マサに萌え萌え(笑)です。
単に容姿のことを言ってるのではなく、その初々しさ、はつらつさにであります。
宝塚自体はスナドリはテレビ以外では未見なのですが、宝塚の舞台は以前から思っていた通り、歌舞伎や狂言のようないわゆる「様式美」なんだなあ、ということをこの番組で実感しました。
この写真では分かりませんが、実はこの段階、というか、宝塚音楽学校の段階から彼女たちは男役の人と女役の人にグループ分けられます。そしてそれに応じて髪型も男役はショートカット、女役は三つ編みとされ、それぞれ別々の訓練を積むことになり、男役は男役としてのみ訓練されます。話によると男役←→女役間での転向もあるようなのですが、原則としては、男役の人はずっと男役、女役の人はずっと女役のままとされるそうです。
演劇における様式美とは、ある一つの方法論の完成形であります。
方法論とはいかなる演劇においても必ず存在するため、製作者が意図するしないに関わらず、その「様式」も必ずそこに存在するということがいえます。
方法論を意識的に形成し、様式を完成させている演劇、例えば上記に示す宝塚のような演劇の場合、そこに新規に参画する者は、その方法論の中に組み入れるため、必ず徹底した訓練が行われます。そこには個性や独創性などは一切求められず、ただひたすら指示されたことを正確に実行することが要求されます。
つまり、様式美の範疇を超えることなく発揮する独自性がここでいうところの独創性であります。これは宝塚に限ったことではなく、歌舞伎も狂言も同様です。まだちゃんと読んでませんが、私の大好きな狂言師の野村萬斎も「狂言サイボーグ」でまったく同様のことを冒頭に述べています。
自らの体に狂言を正確に「プログラム」するのだ、と。
その90期生の初舞台の稽古で実に面白い部分がありました。
それは、自主稽古で半数ずつに分かれ、それぞれがそれぞれのラインダンスをチェックし、指摘しあう場面でした。
「みんなの体の動きが単なる“義務”のように見える。“動かさなきゃならない”から動かしているって感じ。」
「でも、たとえ義務でもとりあえず“きれいに揃っている”というだけで、ちゃんと観られるものになるし、まずはそうなる必要があるんじゃないかな。」
「とにかく揃えるためには、単に動きを一緒にするのではなく、息を吸ったり吐いたりするタイミングを全員で合わせれば、自然と動きが合うようになる。」
この会話のいずれも、個性や独創性ではなく「動きの揃ったラインダンス」を全員にプログラムすることを中心に話されています。そしてそのために、上記のような次々と発せられる指摘情報はその場で全員によって共有され、そして、ここが非常に重要なのですがその共有情報を身につけることによって「並列化」されていきます。
全員の呼吸を合わせ、動きをシンクロさせるためには、非常に当たり前の話ですが指摘情報が単に共有されている(つまり知っている)だけでは実現できません。その共有された情報を各員が自らに実装し、実装した情報を本番で実現化します。これを私は「功殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」で言うところの「並列化」と呼んでいます。単に全員が情報を知りえるだけの状態を「共有」、知り得た情報を自分自身に実装すること(つまり「身に付ける」とか情報に基づいて行動すること)を「並列化」といいます。ラインダンスの稽古を通じて、その共有と並列を繰り返すことによって、完成された方法論による作り込みが進んでいき、それに従って本来適用している方法論が様式としての形を形成し、「宝塚の舞台」となるのであります。
つまり様式とは、ある一定の方法論および方法論に基づく技術情報の共有と並列を長きに渡り繰り返すことによって形成されるものである、と私は思います。その時間が長ければ長いほど完成度が増していき、より強固でゆるぎない様式--つまり伝統となって存在しつづけるのです。
様々な伝統芸能をはじめとする強固な様式美を持つ舞台芸術の稽古がなぜ幼少からスタートされるのかや、なぜ想像を絶する厳しい稽古を行うのかなどは、すべてこの伝統や様式美の維持--情報の共有と並列化を最も効率よく行うためではないかと思います。
話は変わりますが、スナドリの仕事場である企業システムを作る現場では、「情報共有」は知っていてもこの「並列化」を認識していないことがほとんどです。
共有フォルダにファイルを上げるだけで満足してしまったり、データベースではないアプリケーションファイルにデータベースのようなものを作り、ごく当然のように無理やり運用したりしており、単なる共有ですらお粗末な状況です。様々な工程に関わっている多くの人員が1つになるための方法論やそれに対するコンピュータパワーの適用方法などが非常に重要とされるはずですが、ごく一部のコンサル企業や大手メーカー等が研究しているぐらいで、研究まで行かなくとも開発の基本思想として日常的な検討材料にする会社は皆無といっていいぐらいです。
ITとは「情報」の技術であり、誰よりもそのような情報の特性やテクニックなどを理解していて然るべきだと思うんですが、その理解度やセンス、技術への適用力(つまりアイディアをうまく技術にマッピングできるかどうか)や創造性などを評価してくれることさえありません。
最後にはつらつとした表情で初舞台のラインダンスを見事に完成させている宝塚第90期生を見ながら、普段の仕事の現場ではカッチョイイ横文字を並べたり、海外の誰かが考えた方法論をカッコよく受け売るばかりだけど、根本的なことは常に日常の中に当たり前のようにあるんだなあと、すがすがしい画面とは裏腹に少し憂鬱な気持ちにさせられた夜の時間でした。
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受信: 2005.07.09 23:01

コメント
私もNHKスペシャルみましたが、してるわ~といった感じでみていましたが、スナドリさんのように映像から人の行動や情報の共有化などを分析して番組をみる方法もあるんだと、感心しました。
投稿 るか | 2004.08.09 23:02
るか様
初めましてスナドリです。ブログにしては異常に長い文章を読んでいただき、またコメントくださいましてありがとうございます。情報共有についてはやはりシステムエンジニアという職業柄なのですが、私の場合は演劇制作の仕事をしてからSEになったという変り種なせいでそういう見方をするのだと思っています。
るかさんのブログも拝見します。今後ともよろしくお願いします。
投稿 スナドリ | 2004.08.10 01:03